君たちはどう生きるか

相変わらずストーリーは訳が分からない。

古い城のようなお屋敷の近くにある、謎の藤森建築風の建物を入口として、ボサボサの髪をした大叔父の異世界への冒険に突入するあたりからそれは顕著になっていき、人をも食べるようになった鳥たちや魔法のような力を使う人たちの仕事も、何の為にそうなったのかは分からないまま、それぞれの繋がりは掴めそうで掴めず、状況だけが次々に出現していく。初めて映画館で観た宮崎映画が「崖の上のポニョ」だったので、その分からなさを期待してもいた。ポニョだって、床上ぎりぎりにまで迫った海水と明るい水中の庭先を泳ぐタコや木々の上を泳ぐデボン紀の巨大魚たち、といったディテールは覚えている。

「上から来ました」と眞人が言うように、どうやら地下にあると思われる大叔父が作り上げた異世界は、宮崎駿のこれまでの作品たちが溶け合った(ホルス的な要素もある)、ある種の地獄のような世界になっている。螺旋を描いて天に昇っていくワラワラというクラムボンのようなよく分からない存在だったり、それを食べるペリカン、それをワラワラもろとも焼き払う少女。この少女と眞人との同棲生活感のある朝食シーンだったり、インコの兵士を殴り倒していくカットなど、どこか見覚えのある状況もある。

冒頭の眞人が2階への急な階段を手足を使って駆け上がっていくカットなど、使いどころは最低限だけど、意外にもCGの背景が多く使われていて少しびっくりした。『毛虫のボロ』(まだ見ていないので、みたい)でのCG表現を経て、今作では監督は絵コンテの制作に専念していたという話もあり、大々的な働き方改革があったのかも知れない。

空襲で燃え上がる街のシーン(この溶け合い具合は大平晋也さんなのでは)では、火災の原因となったはずの爆撃機はあまり姿を見せず、木造住宅の窓から炎が上がっている様子など(人が亡くなる描写は直接ない)がクローズアップされて描かれる。その空襲の火災で亡くなった眞人の母親は、異世界では炎の力を持つヒミという少女として登場する。父親の工場で製造され、お屋敷の広い和室に運び込まれた戦闘機のキャノピーを見て、眞人は「美しいです」と言っている。母親の命を奪った空を飛ぶ兵器に対しての感情は、同じく空を飛ぶ青鷺にぶつけているようにも感じるが、眞人はその羽を使って矢を作ってもいるのだ。

主人公は、少年の頃の宮崎駿の分身だろうけど、異様な状況の世界に眞人をしきりに誘いこもうとしていた青鷺は、あからさまに鈴木敏夫(唯一の事前情報であったポスターにも出ていたし)。英題も『THE BOY AND THE HERON』らしいし。