バットシグナルの男

 『THE BATMAN-ザ・バットマン-』と『ナイトメア・アリー』を観てきた。どちらもジトジト雨が降り、逃げ場のないような地下鉄やサーカステントの薄暗い場所から始まる。バットマンのときは外でも雨がかなりの量降っていた。近頃、映画館に行くときに限って、大雨に遭遇することが多い。去年の007の時も立体駐車場が海上都市になっていた。

バットモービルは鉄板を張り合わせたような、曲面が目立たない車体に奇怪な形をしたむき出しのエンジンと小さな横目のライトが付いても、あまり違和感なくまとまっているデザイン。ティム・バートン版のモービルをすごくおとなしくした感じ。登場シーンは暗くてシルエットぐらいしかよく分からなかったけど、カーチェイスの結果、マセラティをひっくり返したり大活躍します。その後の炎上する車に閉じ込められたペンギンの視点から逆さまに近づいてくるバットマンは『ドラゴン・タトゥーの女フィンチャー版)』のリスベットのようだった。でもやっぱりレンジローバーの方がひっくり返ったとしても、まだ威厳を保てるというか、車としてそこにある、という感じが失われないような気がします。

今回のブルース・ウェインは目にコンタクト型の視覚デバイスを装着していたりするのにも関わらず、ディスプレイの画像を拡大する操作のためだけに物理ボタンがあったりする(ゴードンマレーなどの超高級車のやっぱり操作するならタッチパネルじゃなくてボタンがいいよねみたいな感覚だろうか)コンピュータを淡々と使いこなしている。バイクと車はあからさまな内燃機関だったり。それらはこれまでのバットマンのように自らが企画して設計したものというより、親から買い与えられたものや技術のように見える。もちろんどれも相当に高額なものなんだけど、このブルースは自らバットラングを金属研磨機でぴかぴかに磨いているようには思えない。そのコウモリの形をしたバットラングもかなりの大きさで胸のアーマーにはめ込んである。手裏剣というよりブーメランみたいだ。劇中でもそのように使っていた。投げると自分に返ってくる。それは自身の恐怖のシンボルというより、肥大化した悪への「復讐」の感情のようだ。映画の最初から降り続いていた雨が、一気に洪水としてゴッサムに溢れかえる場面で市民を救出するために、ビルから飛び降りて、自身のワイヤーで宙吊りになり、扱いずらそうなバットラングでわざわざ切断して着水するのはその「復讐」から決別して、本来の両親を奪われた恐怖(と立ち向かうための恐怖)のシンボルとして復活させるようで、その後の水溜まりに足を取られながらも進む姿もかっこよかったのだけれど、そのためにリドラーは、もう少しなんとかできたんじゃないかという残念な悪役になってしまったような。

滑空を躊躇して着地に失敗したり、いつものように変態コスプレ野郎扱いされるようなまだまだ未熟なバットマンなので、これからも市民に救済の手を差し出すようなバットマンだという保証はないかも。次回作があるとしたら、どのように変化しているのか…。落ち込んでないといいけど。

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明治のチョコレート(26ピース入りの箱の)の包み紙でも意外に折ることができる。胴体はかなりコウモリの感じが出ているような。

 

 

 

ギレルモ・デル・トロ監督の作品を映画館で観たことはこれまでなかったので行った『ナイトメア・アリー』。主人公が最初に逃げ込むように乗ったバスがサーカスには止まらずに実はそのままずっと進み続けているのではないかという感覚が、晴れた日の陽気なサーカスのシーンを見ても続く映画だった。しかし、サーカスの檻の中の獣人や読心術のメカニズムが登場人物の言葉によって明かされて行くにつれて、この映画が最初に持っていたファンタジーというか、空想の及ぶ範囲の幅みたいなものがどんどん狭まっていく過程も同時に進行するので退屈しない。モリールーニー・マーラ)が電流ショーをすることができるのは自身の特殊な体質でも何か仕掛けがあるからでもなく、ただひたすらに痛みに耐え続けていたからだと静かに告白するところで、その空想の及ぶ振れ幅はついにゼロになって、これから起こることは全て現実だということを突きつけられる。